kick the base

Houdiniと、CG技術と、日々のこと。

アート: 目 非常にはっきりとわからない展

去る2019/12/28(土)、奇しくも展示の最終日に滑り込んできた。

あの日の衝撃を。もしくはいま現在も続く衝撃を。あるいはあの日あの時から自分自身の「観測」という行為が一生涯代わってしまったかのような衝撃を。ここに記しておこうと思う。

  • 展示期間が終了したこと
  • アートチーム「目」によるオフィシャルな対談が公開されていること(この記事自体は自身の理解や感覚を大切にしたいため対談記事は未読の状態で書いている)
  • とある理由により再展示が難しいであろうこと

などの理由を踏まえて、ゴリゴリにネタバレ全開で行くこととする。

いつか見に行こうと考えている方はどうかご覧にならず、情報ゼロの状態で体験ください。

すごいぞ。

観測者と時系列

本展示と切っては切れないものとして観測者としての主体、つまり自分自身が挙げられる。そしてその観測という行為自体も時系列に沿ってしか行えないものであり、不可逆的な活動と言える。

もちろん人間のすべての行動は時間が存在する異常すべて不可逆的なわけだけれども、本展示ではそれを激しく意識させる仕掛けがある。

しかしその当事者としての自分自身はその衝撃に備える時間も与えられない。(これも意図したものだろう)

この混乱をありのまま記録するため、チケット購入から入場、退場へと続く時系列に沿って記載しようと思う。

プロローグ - チケット購入時

さや堂ホールにてチケット購入を行うのだが、ここにオブジェクトが展示されている。そしてこのホールのみ写真撮影が可能とのこと。ここで展示されている物体(まさしく物体としか言いようがないのだが)自体はいわゆるコケオドシのような、禍々しさの演出といった感じのもので、正直大きく感情を突き動かすものではなかった。

簡単に言うと「あ、面白くない美術展に来ちゃったかな?」という不安のほうが大きかったように思う。

振り返れば「観測」という行為によってそれらのオブジェクトに価値を与えるかどうかも僕ら観測者の働きかけによるもので、最高の伏線だったわけだけれど。

第一章 - エレベーターから8階へ

千葉市美術館は美術館と中央区役所との複合施設としての側面があり、施設は下記構造となっている。

施設
11F レストラン・講堂
10F 美術図書室
9F 市民ギャラリー・講座室
8F 展示室
7F 展示室・ミュージアムショップ
1F さや堂ホール
B2F 駐車場

この2つしかない展示スペースである7階、8階が今回の大きな仕掛けを作り出しているわけだが、このとき僕らはまだ知る由もない。

スタッフによって8階に案内され、エレベーターへ。

これから先僕らはすっと手を離され、コントロール不能な状態に陥っていく。

第二章 - 8階の混乱

エレベーターを降りた僕らは人混みの中どの部屋を訪れるかの選択を迫られる。僕らは広間(?)に先に向かったのだが、これがある種のミスディレクションになって後々良かったと思う。

2-1 絣の枕?

初めて目に入ったのは絣の枕のような物体。「これは歴史の流れを体感しながら進んでいくのかな?」と思ったのだが実際はそんなことはなく、これから不連続性そのものが展示物であると気づいていくことになる。

2-2 設営中…なのか?

会場を観察するにつれ、先程見た絣の枕に連なる系譜は発見することはできず、カートやダンボール、工具などの乱雑な状態を観測していくこととなる。

「この部屋には、展示物とそれ以外の明示的な差がない」

それは普段美術館では味わうことのないなにか根源的な恐怖のようなものを感じたことを覚えている。

2-3 時計の針、無数に

天井から無数の金具が吊るされており、それらを作った(もしくは解体した)工具らしきものが置いてある。そこで一緒に来場していた母が一言。

「これ時計の長針と短針だ」

なるほどそれらは各々の方向を向きながら時を刻んでいる。

やはり時間に関係した展示なのか?

それは半分正解で半分外れだったと言えるのだけれど。

2-4 壁にかけられた大きな布

次の部屋に向かう途中、壁に大きな布がかかっているのを横目に見る。後ほどこれが大きな気付きを与えてくれる存在であることはわからずに。

2-5 設営スタッフとの遭遇

ここでひとつ度肝を抜かれる事件が起こる。設営スタッフがまさに今大型のオブジェクトを運んでいるのだ。

「やはり設営中なのか?」

展示室の微妙な位置(微妙としか言いようがない)にそのオブジェクトを放置して、そそくさと退場していくスタッフ。

壁には模様が描かれ、ところどころ半透明なビニールシートが貼られ、またところどころが剥がれかけている。

大きなカートの最上段には人間(人形?)が横たわっている。

ここで8階の探索は終了となる。

第三章 - 不安

8階を一通り見たあと、さや堂で感じた

「もしかしてハズしたか?」

という気持ちがより強くなった。オブジェクトひとつひとつには別段意味はなく、不安を煽り邪悪"げ"なものを集めただけではないのか。

しかしその不安は7階で裏切られることになる。

第四章 - 7階の衝撃

ここから本展示における大きな仕掛けに付言する。

上記までを読んできて、もしも本展示に興味があり、今後見に行く可能性があるのであればぜひ引き返してほしい。これは体感してほしい衝撃だ。

さあ、話を続けよう。

7階で初めて目に入ったもの。それは絣の枕だった。

一瞬の混乱。

「ん?エレベーターを降り間違えた?」

部屋を見回す。

部屋を注意深く観察する。

部屋を移動しながらあることに気がつく。

壁にかけられた大きな布が外され、中から大きなオブジェクトが表出している。

まさか。

まさか。

8階と7階で同時刻に全く同じ施工が同時進行しているのか?

この施工が完全に同時進行かどうかは観測者が同時に別の場所を観測できないため確実には言えないのだが、まさにそこが本展示のテーマと直結していると言えよう。

8階と7階は全く同じ状態で観測タイミングによって変化が生まれているか、それとも小さな違いが無数にあるのか。(もちろんアナログで展示している以上全く同じ状態というのは不可能だけれど、そこに製作者の意図が介在されたものが存在しているのかどうか)

まさに。まさに。

非常に はっきりと わからない

のだ。

震えた。

そこから先は時間の流れが速かった。

美術館を去ったとき

「さや堂ホールにあったオブジェクトは2体でひとつの対(つい)になっているものばかりではなかったか。それらが7階と8階を暗示していたのではなかったか。あの場所だけはスタッフの手が入らないので今から確認することもできよう。しかしそれは野暮というものだろう。否、チケット購入者は二度とあの部屋に入れなかったのではなかったか。」

モノレールに乗るとき

「このモノレールに乗る自分と乗らなかった自分が別々に存在したとしたら、無数に発散する可能性はどのように観測されるのか。」

この展示は自分が立つ大地をひっくり返すような、大きなパワーを持っていた。

これがアートの力でなくなんだというのだ。最高の体験だったと言えよう。

エピローグ この記事について

本来ならばこの感動は胸にしまって未来の「非常にはっきりとわからない展を体験する方の楽しみを奪わない」のが最も良いとも思ったけれど、下記理由により再展示の可能性は低いと思い記録として書いた。

  • この展示がふたつのフロアが同じ形状でないと成立しないこと
  • 2019/12/29から千葉市美術館がリニューアルし、上記条件から外れること
  • これらの条件を満たす施設が都内に少なそうであること

インスタレーションアートの常設展としては十和田市現代美術館が大好きなのだけれど、今年は美術館を巡ってみるのもいいかもしれないと思った。

アートは高尚で手の届かないものではなく、僕らの傍らにあるのだ。

それが"ひじょうにはっきりとわからない"だけで。

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